三浦綾子著「氷点」は、旭川を舞台に、幼い娘を殺された夫婦がその殺人犯の娘を養子として受け入れるというショッキングな筋書きの小説です。娘が殺されたのは妻が不倫をしている最中。夫は妻への復習の意味を込めて我が子を殺めた男の娘を養子として迎え入れます。波乱の人生を健気に生きる養子・陽子ですが、ある時、自分が夫婦の実子ではなく、亡き義姉に手をかけた殺人者の娘であるという秘密を知って絶望し、命を絶とうと遺書を書きます。「---いま陽子は思います。一途に精いっぱい生きて来た陽子の心にも、氷点があったのだということを。私の心は凍えてしまいました」
この小説は1966年にドラマ化されて以来、71年、81年、89年、2001年、2006年と、くり返しリメイクされてきました。89年にテレビ朝日で放送された作品では、主題歌を旭川出身のミュージシャン玉置浩二さんが書き下ろしています。玉置さんといえば、圧倒的な声量のパワフルな歌唱が魅力ですが、この「氷点」では、ほぼ全編にわたってファルセットを駆使し囁くように歌っています「♪冬の心に降りてくる、白い悲しみにくちづける。命の流れも、止まるくらい、凍らせてほしいと、あなたは言う♪」一番の歌詞はたったこれだけです。今はやりの楽曲では考えられないくらい短い曲なのですが、卓越したアレンジもあって、雪深い旭川で繰り広げられた悲劇のイメージが見事に表現されています。
さて旭川市のホームページによれば、小説が刊行された1960年代に比べて2022年では降雪量が90cmも減少しているそうです。小説も楽曲も、雪深い街のイメージあってこその誕生だったと思います。この先、温暖化でさらに降雪量が減っていけば、クリエイターたちの創作活動にも少なからず影響が出てくるのでしょう。
山下達郎さんの名曲「クリスマスイブ」は都会の冬がイメージされています。しかし「♪雨は夜更け過ぎに、雪へとかわるだろう♪」という歌詞のような空模様になることは、現在の東京のクリスマスイブではめったにありません。玉置さんの「氷点」を聴いても旭川を舞台にした悲劇がイメージできないとか、クリスマスイブに雪が降ることなど大昔の話とか、そんな時代がくるのでしょうか。最高気温20度という11月末のある日にこの原稿を書いています。
園長 永井 洋一