音楽家の故・坂本龍一さんが音と映像、舞踏、造形、絵画など各分野のアーティストとコラボした「インスタレーション」と称される作品が東京都現代美術館で体験できます。
クラシックを原点にして、電子楽器を駆使したテクノポップグループYMOで世界を席巻し、映画音楽でアカデミー賞に輝き、バルセロナオリンピック開会式の音楽を担当し、マルチメディアの創作オペラLIFEで「共生」の概念を世に問い、美しいメロディーのピアノ曲で人々の心を癒やしてくれた坂本さんは、病を得てからの晩年、音符になって整えられた楽曲としての音よりも、雨音のように人の手が加わっていない単純な「音」そのものの存在意義を追求していました。
東日本大震災で津波に流されて壊れたピアノを弾いた坂本さんは「人はみな『このピアノは壊れて音が狂った』というが、それは人がつくった基準で語る勝手な論理。このピアノは自然の摂理にしたがって、今ここにあるがままに音を出しているわけで、その『音』自体に素直に耳を傾ければ、一つひとつの音が美しい」と語っていました。音を極めた人の素晴らしい視点ですが、なんだか子どもたちを見る姿勢にもつながっているな、と思いました。
その震災ピアノが展示されていました。曲ではなく、ポーン、ボーンという単音が響きます。調律としては狂っているのでしょうが、坂本さんの言う通り素直にきれいな音だと感じます。そしてピアノの上には、瓦礫と思われるようなものを含みながら静かに流れる水の映像が映し出されています。まるで津波の底から水面を仰いでいるような感覚になります。流されてぶつかって壊れて水底に沈んでも、ピアノは水面の上の空を見上げながらその時なりに自分が出せる音を出している、と坂本さんは言いたかったのかもしれません。
展示の最後はホログラムの坂本さんによる演奏でした。まるでそこに本物の彼がいるかのように、私の好きな曲リストにも入っている2曲が演奏されています。釘付けになって見入ってしまいました。坂本さんの演奏に再会できた喜びの一方、でもこの人はもうこの世にはいないのだと思うと、目前で動いている姿がリアルなだけに一層、悲しい気持ちにもなりました。園児たちが大人になるころは、このように故人をリアルに感じる手立てが一般的になるのでしょうか。3月28日は坂本さんの命日です。
園長 永井 洋一