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ゆきわり草6月号

2024年5月31日(金)

 ショパンの前奏曲15番は「雨だれ」の別名で知られています。全編にわたって静かに降りしきる雨をイメージする反復音が繰り返されますが、最初のパートでは、そこにシンプルで美しい旋律が重ねられます。

 この曲は、ショパンがパリで知り合った愛人ジョルジュ・サンドと地中海に浮かぶマヨルカ島に逃避行をする中で作られました。ピアノの詩人と呼ばれたショパンは才気あふれる音楽家でしたが、華奢で病弱。一方、作家として成功していたサンドはフェミニストの先駆けのような先鋭的な思想を持ち、男装もするようなアクティブな女性でした。異質な二人に接点はないように思えますが、そんなサンドでさえ魅了してしまうほどショパンの才能は魅力的だったのでしょう。

 マヨルカ島でショパンは肺結核が悪化します。ある日、サンドが一人で買い物にでかけた時、天候が急変して嵐になり、サンドはしばらく帰宅できませんでした。降りしきる雨を窓越しに眺めながらショパンはサンドを待ちますが、一向に帰ってきません。彼女に何かあったのか? もしかしたら病気の自分を見捨てて行ってしまったのか? そんな不安な気持ちの中、作曲したのが「雨だれ」なのだそうです。

 静かで美しいパートが終わると、次第に低音部の反復音が存在感を強め、曲調は暗い感じになっていきます。病魔による体調の悪化に加えて、サンドが帰ってこない理由を詮索して心理的に追い詰められていくショパンは、ついに目前に次々と亡霊が現れてくる錯視をするようになります。その亡霊が漂う様子を音符に落としたのが、あの低音が響く暗い曲調のパートだということです。

 さて、今年の日本の梅雨は例年よりやや遅れて始まるとの予報です。その梅雨の時期の雨を、五月雨と表現することもあります。五月雨には「五月」が含まれているので、6月の梅雨より前の雨を指す表現かと思いきや、この「五月」は旧暦なので現在では6月にあたるとのこと。しとしとと静かに降り続く雨を「さ・み・だ・れ」という音で表現する日本人の感性は素晴らしいですね。ショパンの「雨だれ」の静かで美しいパートと合い通じるものがあります。

 「つゆ」を「梅雨」と書く理由には諸説あります。梅が熟す頃の雨だから、という説。カビがはえるような長雨ということで「黴(かび)」の音読み「ばい」が転じて「ばいう」となったとする説など。もし梅雨があの忌々しいカビを語源とするならば、ショパンが「雨だれ」の中で亡霊をイメージした暗いパートに通じるかもしれません。いずれにせよ、古今東西、雨にはロマンティックなイメージと暗いイメージが同居するのですね。

                                                                                   園長  永井 洋一

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