古代インドの仏教説話には、空腹で弱っている老人の旅人とウサギの話があります。老人を助けようと動物たちがそれぞれに食べ物を持ち寄りますが、ウサギは何も持ってくることができず、しかたなく自分の身を捧げようと火中に飛び込みます。
すると、老人はみるみる帝釈天に変身し「実はお前の施しの心を確かめたのだ」と言います。そして、誰もがそのウサギの優しい気持ちを忘れないようにと、帝釈天は月にウサギの姿を映し出すことにしたというのです。昨年はトラに捨身する仏教逸話を紹介しましたが、ウサギのバージョンもあるのですね。
日本で最も古いウサギの話は古事記に出てくる因幡の白ウサギです。隠岐の島から本土に渡りたかったウサギがサメ(古事記ではワニと表現されています)をそそのかして海上に並べ、まんまと上陸を成功させます。しかし上陸寸前に騙したことが発覚し、怒ったサメに皮を剥がされてしまいます(食べられなくてよかったですね・笑)。
痛くて泣いているウサギに、因幡の美女神を探しにきた神々が「海水に浸かってから風にあたるとよい」という意地悪なアドバイスをします(ホントに神様なんですかねこの人たち・笑)。痛みがまして苦しむウサギを神々の末弟である大国主の命(オオクニヌシノミコト)が助けます。
「まず川の真水で体を洗い、蒲の穂を塗って静かに休め」という大国主の命のアドバイスに従ったウサギは傷が癒え、もとの毛が生えてきます。大国主の命はウサギを助けたために一人だけ遅れて因幡の国に入りますが、噂の美女神・八上比売(ヤカミヒメ)は、気の優しい大国主の命の到着を待っていた、というハッピーエンドです。
民話のカチカチ山では、ウサギは老夫婦に悪さをしたタヌキを懲らしめる正義の味方として描かれます。ところが、その懲らしめ方が残酷で、背中にやけどを追わせて傷口に唐辛子を塗ったり、泥船で海に出して沈めたりと、いくらなんでもそこまで…という感じです。 同じウサギでもいろいろな描かれ方があるものですね。実際のウサギは繊細でマイペース、どちらかというとネコに近い性質なのだとか。どんなに可愛がっても飼い主に気を許すことはさらさらなく、自分の要求が叶えられないと怒り、それを咎めると萎縮して心を閉ざしてしまうのだとか。ペットとしてはかなり「面倒くさい」動物のようです。
そんなウサギの「よくわからない」ところが、いろいろなバージョンで描かれるようになった原因なのかもしれませんね。ともあれ、ウサギのように軽やかに跳びはねて困難を乗り超える一年であればいいと思います。
園長 永井 洋一