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ゆきわり草6月号

2025年6月3日(火)

  雨男、雨女を自称する人、あるいは友人たちにそのように呼ばれている人がいます。晴れてほしい大事なイベントのときにその人がいると、必ず雨になるというのです。もちろん科学的根拠などないのですが、雨にたたられた不運の根拠をなにかに求めないとやりきれないという思いの表れでしょう。

  飛鳥涼さんがASUKAとして1991年にリリースした曲「始まりはいつも雨」は、思う人との逢瀬がいつも雨になってしまうことをロマンティックな感性でとらえています。
♫ 君に逢う日は、不思議なくらい雨が多くて、水のトンネルくぐるみたいで幸せになる♫
あの人と逢う日はなぜかいつも雨になってしまうのですが、二人で水のトンネルをくぐるようで幸せになる、というのです。逢いたいという気持ちがあれば、雨さえも幸せな気持ちを盛り上げる演出になるのですね。待ちに待ったデートのときに雨になってしまっても、そんなふうに思えたら楽しいですね。

 そんな気持ちがあるからでしょう、歌は次のように続きます。
 ♫ 今夜、君のこと、誘うから空を見てた、はじまりはいつも雨、星をよけて ♫
 今日はあの人を誘う日。またきっといつものように雨になるだろうから、じっと空を見あげている…。でも空を見上げている彼の胸の中には「また雨か…」というネガティブな感情はうかがえません。「今日はどんな雨になるんだろう」という、むしろ雨に何かを期待しているような気持ちが見えてきます。

 日本は湿潤な気候で雨が多いからでしょうか、普通はあまり歓迎されない雨をむしろ愛でるかのような感情は、万葉集の昔からあったようです。大伴家持がつぎのように詠っています。
『 ひさかたの、雨も降りしけ、思う子が、やどに今夜は明かして行かむ』
雨が降り続く。その雨の中、私は思いを寄せる人の住まいに出向いていき、今夜は夜通し一緒にいたいものだ…。雨だから二人が一緒にいるくらいしかできないではないか、そう思えば降り続く雨もいいものだ…そんな気持ちが見えてきます。

  降らなければ水不足と騒がれ、降り続くと水害だとうんざりされる。久しぶりに降れば恵みの雨だと褒められる。私たちは勝手な感情で雨を評価します。今年の梅雨は平年並みだとか。それでも私たちはきっと、降れとか、止めとか、多いとか、少ないとか、勝手なことを言い合うのでしょうね。                                                   

                                                                                                           園長  永井 洋一

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