最近、面白い言葉を知りました。ペタゴジーとアンドラゴジー。いずれもギリシャ語にルーツがあり、語尾の「ゴジー」の部分はもともと「指導」を意味する「agogus」という言葉から派生しているそうです。
ペタゴジーの方は、接頭語に子どもを意味する「paid」がつくことで、子どもに対する教育学という意味になり、アンドラゴジーの方は接頭語に大人を意味する「aner」がつくことで、大人が学ぶことを支援する教授法という意味になったとのことです。同じ「agogus」という表現を内包しながら、そこに子どもを意味する語がつくと「教える」というニュアンスが強くなり、大人を意味する語がつくと「学ぶ」というニュアンスが強くなります。子どもとは教えなければならないものであるとする一方、大人は自ら学べるものである、という前提が垣間見えます。
アンドラゴジーは分析、計画をもとにした主体的な学びという意味から、現在でも社会人の企業研修の基本理念などに活用されることがあります。しかしよく考えてみると、それは文科省の学習指導要領の「基本的なねらい」の中で謳われている「自ら学び,自ら考え,主体的に判断し,行動し,よりよく問題を解決する資質や能力」に通じるものがあります。アンドラゴジーという概念が生まれたころとは違い、今や就学期の少年たちにとっても「教わる」だけではなく「自ら学ぶ」ことが肝要となっているわけです。
アンドラゴジーではレディネスが重要な意味を持ちます。レディネス(Readiness)とは「準備ができている状態」のこと。言い換えると、あることを学習していくにあたり、心身両面でそれを身に付けていくための最も適した状態になっていることを示します。レディネスが不十分な状態で何か学ばせようとしても、それはペタゴジーの域を出ず、主体的な学びにはなりにくいのです。モンテッソーリ教育でいう敏感期とは、まさにレディネスが整った時期ということと同義。子どもたちは、それぞれの発達の敏感期に応じて自分が選んだ「おしごと」に熱中します。それは主体的な学びそのものであり、まさにアンドラゴジーなのです。
園長 永井 洋一