2021.4 園長 永井洋一
春は夜明けがいい。空が白むころに、山の稜線に紫がかった雲がたなびいている様子に風情がある、と清少納言は約千年前に書いています。
明けやらぬ空はやがてまばゆい朝の光を連れてくる。紫がかった雲はすぐに陽光を浴びて銀色に輝き始める。そのように力に満ちた光が広がる世界が開けていく前の、「暗」から「明」に移ろいゆく過程にこそ趣があるのだと、清少納言は感じたのかもしれません。
清少納言が感じたであろうように、春という概念には成熟には至らぬ前の脆く危うい姿の中に潜む、けがれない澄んだ力が感じられます。不完全であるがゆえの魅力、可能性、未来。その春のイメージは、私たちがこれから向き合う子どもたちの姿そのものでもあります。
満開の桜と園舎
子どもたちは今、まさに人生の春まっただ中を駆け抜けています。髪をゆらす風、ほほをなでる空気、手足に触れる土や木々の全てが子どもたちの中にある可能性の扉の一つひとつをノックしています。その子どもたちがやがて、夏の光を糧にどのような果実を秋に実らせるのか、それは、いかに春を健やかに過ごすかにかかってきます。
芽吹いた花には水が必要ですが、水をやりすぎれば枯れてしまいます。子どもという「可能性」に、どんな水を、どれだけ、どのように、与えていくのか…これから私たち教職員と保護者の皆様の試行錯誤が始まります。