2022.9.2 園長 永井 洋一
日本では古来、春分の日から数えて二百十日目の頃に強風による災害が起きがちなことから、その日を「二百十日」と呼び厄日とする風習があります。それはおおよそ9月1日ころにあたるので、たしかに台風被害などに遭遇しやすいのかもしれません。稲作が主要な活動であった頃、風害で稲穂が倒されることは一大事でしたから、誰もが二百十日の前後をやきもきしながら迎えていたことでしょう。
風害を除けるための催事は日本各地にありますが、そこで奉られるのは級長津彦命(シナツヒコノミコト)です。シナツヒコは、日本書紀によればイザナギ、イザナミの両神が天地創成期に「神産み」をした際、イザナミが良い香りのする朝露を吹き払った息から生まれた「風の神」とされています。
女神の優しい吐息から生まれたなんて、なんだかロマンチックですね。その後、風とニュアンスが似ている「気」を司取る神という解釈も加わり、東洋医学の「気」の概念とも通じて、シナツヒコは人々の健康を見守る神という存在にもなっているようです。
さて、ミュージシャンの小田和正さんは「風」という歌詞を好んで使います。風という言葉からさまざまなイメージが起草されるからだそうです。「黄昏は風を染めて、ちぎれた雲はまた一つになる」(秋の気配)、「あの風のように柔らかく生きる君が、初めて逢った時から誰よりも好きだった」(あの風のように)、「風はまだ少し冷たいけれど、空はどこまでも晴れ渡っている」(Wonderful Life)、「その道はどこまでつながって行くのか、まだ見ぬその場所はどんな風が吹くんだろう」(この道を)…などなど。
小田さんが風からさまざまな心象を引き出しているように、頬をなで、髪を揺らし、草木をざわめかせる風は、季節ごとに人々の様々な感覚の扉を叩き、思索の道を広げてきました。風がふくたびにシナツヒコの霊性が呼び覚まされるからでしょうか。
名画「風と共に去りぬ」で主人公スカーレット・オハラが呟く「明日は明日の風が吹く」という有名な台詞があります。実は彼女はそのシーンで「tomorrow is another day」(直訳:明日は、また別の日) と言っていて、そこには一言も「風」という言葉は入っていません。訳者が「風」という言葉を使って意訳したことで、日本人の心に残る台詞になったのだと思います。やはり日本はシナツヒコの国なのですね。
9月を迎えましたが、まだまだ体感的には夏真っ盛りです。爽やかな秋など先のことと思うのですが、暦の上では夏至は二ヶ月以上前に過ぎ去り、既に日の長さは日々、確実に短くなり秋の歩みは静かに近づいています。そしてふとした瞬間に「風の音にぞ、おどろかれぬる」となるのでしょう。古今和歌集(905年)が編纂された千年以上前から、人々が風から何かを感じ取る感覚はずっと続いているのですね。